サイレントナンバー号の写真館

このページでは、作者金丸寿也が1987年頃から1993年 頃まで乗馬クラブクレインにて所有し、超可愛がっていた、超人気スーパーホース、サイレントナンバー号のスナップショットを紹介します。

彼の名はサイレントナンバー号、1981年9月23日生まれ、オーストラリア産サラブレッド、セン、日本に来るまでは、幼少名を Loo(ルー)と呼ばれていたらしい。
クレイン時代の呼び名は、ナバオ(何事にも動じずヌボーっとしてるから、横文字は似合わないという事で、このあだ名になった。)、サイレン飛ばんなあ、サイレントナバオ。

好きな食べ物は、メロンパンと揚げドーナツとカツサンド、パン類全般。好きな食べ物は作者がよくあげていたので好物になった。特に北欧のメロンパンには目が無かった。試合場では時々、食べかけのコンビニ弁当をつまみ食いしていた。

日本にやって来た当時は、岩坪徹氏、戸村崇氏、中野善弘氏が騎乗していたが、
最終的に森田正哉選手により、大活躍した。
森田選手引退後は、桝井俊樹選手、山口千恵子選手に引継ぎ、クレインを離れる事となる。

日本で試合に出始めた当時は、左によれる癖が激しく、オクサー障害などでは斜めに飛ぶ分、本来より幅のあるオクサーとして飛んで、長い滞空時間で怖い思いをした記憶がある。

コンビネーションのトリプル障害では、Aを右端、Bを真ん中、Cを左端を跳ぶ事は日常茶飯事で、ある試合の時の森田選手は、満点で走行中の最終障害のトリプルコンビネーションのCで、馬はの足は余裕で飛越していたにも関わらず、森田選手の左足を支柱にぶつけて、落下するという、お茶目な面を持っている。

左によれる癖を解消する為、戸村崇氏が開発した、大障害養成ギブスを装着する事になった。
最新のNASAの技術を集結した素材で出来ている大障害養成ギブスは、偶然その素材を近所のホームセンターで見付け、金丸寿也氏により製作費約500円、制作期間約10分を掛け完成された。
シンプル設計であったが、効果は抜群であった。
長さ約50cm径約3cmのパイプに左の手綱を通した物で、飛越前から押し手綱をするだけである。
当然試合では使えないが、徐々に矯正されていき、結果として、全日本障害大障害選手権優勝したり、ピュイッサンスで2m以上を跳べる馬に成長する、キッカケとなったのである。

何故か作者金丸寿也が1990年に渡米して以来、サイレントナンバーは秘められていた能力を存分に発揮し始めた。なぜだろう?

2006年現在、御歳25歳のナバオは、埼玉県の駿ホースクラブでのんびりとした生活を送っている。

 

1989年以前

調査中

1990年

  • 19回JRA馬事公苑ホースショー、スーパーカップ優勝(5)、スピード&ハンディネス5位
  • 17回関東馬術大会、大障害飛越2(6)
  • 42回全日本障害飛越馬術大会、大障害飛越SH2位、大障害飛越選手権優勝(12)

1991

·         20回JRA馬事公苑ホースショー、中障害飛越A予選2(5)

·         18回近畿障害飛越馬術大会、標準大障害飛越 優勝、大障害飛越SH優勝、大障害飛越選手権4(6)

·         5回富士グランプリ、富士グランプリ優勝(7)

·         27回西日本障害飛越馬術大会、標準大障害飛越 優勝、大障害飛越SH3位、大障害飛越選手権2(9)

·         '91杉谷ダービー、標準大障害飛越優勝、大障害飛越SH3位、(11)

 

 

 

 


(1989年5月12日撮影)


顔面アップ(1989年6月4日撮影)

 


1990年馬事公苑スーパーカップ2m8cm(日本新)で優勝。森田正哉選手騎乗。(199056日撮影)

 


1992馬事公苑大会。山口千恵子選手騎乗。(19925月撮影)


19911228日撮影)


鼻アップ(19911228日撮影)

これより下は1997年8月18日、埼玉県の駿ホースクラブにいて撮影しました。





 

最終更新日:2006/10/21 土曜日